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2008年10月 8日 (水)

【韓国】 汚辱と桎梏という名前の伝統酒~日帝時代、苦難の歴史を迎えた私たちのお酒[10/06]


【韓国】 汚辱と桎梏という名前の伝統酒~日帝時代、苦難の歴史を迎えた私たちのお酒[10/06]


1 :蚯蚓φ ★ :2008/10/08(水) 00:12:12 ID:???

http://image.moneytoday.co.kr/indexlink_image.php?no=2008100617114665623_1.jpg&index=6
http://image.moneytoday.co.kr/indexlink_image.php?no=2008100617114665623_2.jpg&index=6

酒は文化だ。ワイン、ウイスキー、死するようになど各国の伝統酒が違う国に伝わる時、単純にお酒
として入って行くのではない。その中にとても長い歴史がとけこみ、その国とその民族だけの独特の
食べ物と生活文化、歴史が一緒に伝わる。(中略)

今、私たちが日常的に飲んで楽しむお酒は果して私たちの伝統と文化が込められた私たちの伝統酒な
のだろうか。否。私たちはお酒という大事な無形の民族文化資産を忘れてしまいったかまたは忘れた
まま、いや奪われたまま数十年を暮して来たのだ。
筆者は汚辱と桎梏の私たちのお酒、伝統酒につい
て何回か話を書こうと思う。

民族文化コンテンツとして私たちのお酒が復活し、そして私たちの生活に私たちのお酒が共にあるこ
とを切に願って文を始める。

お酒の起源は正確には分からない。他の文明のように古代に自然発生的に作られて長年の歴史を続け
て来たと推定される。私たちのお酒に関する文献上の記録では高句麗開国始祖である東明王(BC37~
BC19)の建国談にお酒に関する記録が現われている。三国形成期にすでにお酒文化が形成され、国家的
行事などで夜を明かすようにお酒を飲んで踊りを踊って呪術的行事をしたことが伝わる。

高句麗の時には麹を利用してお酒を仕込む方法が広く広がっていたことが確認されている。三国時代
から統一新羅時代は、より発展した形態のお酒である薬酒が作られ始めた。日本の古事記には応身天
皇時代に百済の須須保利という人が日本にお酒を仕込む技術を伝えて酒神として信仰されたという記
録が伝わる。

#日帝時代、非運の歴史を迎えた私たちのお酒

高麗時代は宋の国と元の国の醸造が伝来し、穀物を利用した醸造法もさらに発展した。高麗時代初め
て我らの方法の多様な伝統穀酒が腰を据えて今日まで伝わる。特に高麗後期、元国の侵入でイスラム
から由来した蒸留酒に対する鋳造方法が導入され、焼酒が大きく発展した。朝鮮時代には多様なお酒
が定着し、士大夫と両班社会を含んだ上流社会で楽しむ高級酒が多数開発された。

日帝時代には私たちのすべての文化がそうだったように、お酒も非運の時期を迎える。1907年7月、朝
鮮総督府は収奪と民族文化抹殺の一環として
「酒税令」を公布し、同年8月酒税令施行規則公布、9月
からは強制執行が始まる。しかし、数千年を続いて来た私たちの酒文化が一瞬に消えはしなかった。

これに対して日帝は1916年1月、取り締まりをさらに強化する一方、多様だった私たちのお酒を薬酒、
濁酒、焼酒で統合・画一化させた。1917年に至っては、とうとう家ごとに作って飲んでいた家釀酒を
全面禁止するに至り、各地域で自分の口にあった酒類製造業者を選定する文化的蛮行をやらかした。

この時から私たちには伝統酒の命脈が切られて日本の清酒が全国的に氾濫し、日本式醸造法だけ伝え
られるようになったのだ。それこそ盛りだくさんで華やかだった数千年、私たちのお酒文化が非運の
歴史を迎えたのだ。1945年、解放になったが事情は変わらなかった。日帝によって作られた酒税行政
はほとんどそのまま維持された。伝統酒は相変らず密造酒扱いを受けた。

文化遺産が継承されないまま産業化が進行した。なおかつ1965年には糧穀管理法によって米を利用し
たお酒が全面禁止、それさえも蒸溜式焼酒も希薄式焼酒に変わるようになり、米どぶろくも完全に影
をひそめてしまう。


#1988年ソウルオリンピックを契機に再認識

このように数十年間断絶された伝統酒は1980年代に至って世の中に少しずつ姿を現わし始めた。1988
年ソウルオリンピックは新しい転機を持って来てくれた。伝統文化を伝授保全して外国人観光客に我
が国のお酒を広く知らせなければならない必要性が申し立てられたからだ。以後、伝統酒50余種類が
立て直し再現されて、日帝以後、初めて伝統酒の製造が許可されるに至った。80余年ぶりの事だ。

1988年以後、政府当局と各地方自治体では伝統地酒の発掘と育成のために名人-無形文化財などの指定
を通じて製造と事業を奨励した。1990年、私たちに対する大衆の関心が大きく高まり、これと共に濁
酒-薬酒製造に米を使うことと個人がお酒を仕込んで飲むことが許容されて、私たちの酒に対する文化
立て直しの動きちょっと活気を持つようになった。

数十年間の断絶の壁は非常に高かった。なんとか原型を保存したと言っても、解放以後、今まで形成
された歪曲された飲酒文化と市場秩序は伝統酒の市場進入を基本的に阻んでいた。慶北の安東焼酒な
ど一部が市場進入に成功し、それなりの成長をしたが、それも全体の伝統酒市場の発展には別段役に
立たなかった。

40余種の無形文化財と名人伝統酒製造会社は現在、非常に切迫した状況に瀕している。製造を中断す
る企業が続出し、現在製造中の会社も慢性的経営難に置かれている所が大部分だ。このように国史を
通じて綿綿と伝えられた私たちのお酒の歴史は切なさそのものだ。

今後の多様な行政的法律的サポートなど持続的・制度的な裏付、消費者の意識向上のための具体的で
多様な努力、現代的な生産技術サポートなど体系的で組織的な装置が用意されなければならない。そ
うでなければ、大事な文化遺産である私たちの伝統酒の歴史が裏街道で永遠に消えるかもしれない。
責任は誰が負うのか?


http://image.moneytoday.co.kr/indexlink_image.php?no=2008100617114665623_3.jpg&index=6
▲ユン・ジンウォン 韓国酒類文化研究所所長

ソース:マネー・トゥデー(韓国語)汚辱と桎梏という名前の伝統酒
http://www.moneytoday.co.kr/view/mtview.php?type=1&no=2008100617114665623&outlink=1


密造酒を取り締まっただけだろ。

> 責任は誰が負うのか?
勝手に文化を捨てたお前ら

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