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2008年12月26日 (金)

【毎日新聞】忘れるな重慶爆撃の悲惨 不幸な過去のトゲに向き合ってこそ、本当の日中友好の前進に繋がる[12/26]

【毎日新聞】忘れるな重慶爆撃の悲惨 不幸な過去のトゲに向き合ってこそ、本当の日中友好の前進に繋がる[12/26]

これまで3回現地を訪ね、十数人の原告らの訴えを聞いて回った。
趙茂蓉さん(79)=重慶市磁器口=が爆撃を受けたのは41年8月。6人家族で趙さんは当時12歳。
家は貧しく、趙さんは地元の紡績工場で働いていて爆撃を受けた。爆弾の破片の一部が右ほおに
突き刺さり、あごの骨まで砕ける重傷だった。爆撃で自宅は全焼。家族はバラバラになった。
趙さんは爆撃時のショックで左耳が聞こえなくなった。しかし、趙さんを苦しめたのは爆撃以後の人生だった。
「元の職場に復帰しましたが、顔の右半分に大きな傷があるため、同僚から『半面美人』と
からかわれるのがつらかった。日本軍の爆撃にはいまでも激しい怒りを覚えます」
爆撃は一家の貧困にさらに拍車をかけ、趙さんの就学の機会をも奪った。
趙さんはいまでも中国語の読み書きができない。
呉紹武さん(76)=四川省峨眉山市=が爆撃を受けたのは39年8月、当時7歳。
重慶市から西に約260キロの楽山市に住み、5人家族だった。爆撃で母と兄を失った。
「母の遺体は下半身だけ。母がはいていた黄色い靴下が母の決め手になりました。
肉親らの無念を晴らすために、闘い抜きたい」

呉さんはその黄色い靴下を思い出したのか、目に涙をためていた。爆撃後、呉さんは
商店での奉公人生活を強いられ、学校も満足に行けなくなったと語った。

東京大空襲を自ら体験し、大空襲をライフワークにしてきた作家、早乙女勝元さん(76)は
「我が身に受けた空襲による傷の深さに目を奪われてきましたが、私たちが受けたのと
同じような爆撃をかつて日本軍が重慶の人たちに行っていたことを、20年前にある本を
通じて知り衝撃を受けました。被害者体験だけでは戦争を語り継いでいくことにはならないと
痛感したものです」と振り返っている。

重慶爆撃の訴訟に続いて東京大空襲訴訟が昨年3月に東京地裁に提訴された。空襲被害者が
国に損害賠償などを求める初の集団訴訟だ。原告団は、東京大空襲が日本軍の重慶爆撃などの
先行行為の結果として受けた被害である点からも国の責任を指摘している。

法廷では無差別爆撃による被害と加害が問われ、両訴訟の法廷に足を運ぶたびに、
歴史の奇妙な巡り合わせに立ち会っているのではと思えてくる。

いまや日中は「戦略的互恵」が両国から強調される時代に入る一方、日中間の戦後補償の
解決策が司法の場では次々閉ざされてきたという厳しい現実がある。しかし、不幸な過去の
トゲに向き合ってこそ、本当の日中友好の前進につながるのではないのか。
重慶爆撃もまたしかり。被害者たちの声からそう思うのだ。(おわり)

つい最近やった、変態報道についてもけじめをつけて無い奴が言うなよ。

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