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2011年1月23日 (日)

【話題】「日本人のために命をなげうった衝撃が韓国人に対する思いを変えた」~日韓の距離縮め韓流へ…26日勇気の李さん偲ぶ会[01/22]

【話題】「日本人のために命をなげうった衝撃が韓国人に対する思いを変えた」~日韓の距離縮め韓流へ…26日勇気の李さん偲ぶ会[01/22]

1 :イマジンφ ★:2011/01/22(土) 21:00:43 ID:???
 
東京都新宿区のJR山手線新大久保駅で、ホームから転落した男性を助けようとした
韓国人留学生の李秀賢(イスヒョン)さん(当時26歳)とカメラマンの関根史郎さん(同47歳)
が亡くなってから、26日で10年がたつ。ホームの安全対策に目が向けられるようになった
この事故は、日韓の距離を縮める契機にもなったとされる。26日には都内で、李さんを
偲(しの)ぶ会が開かれ、父の李盛大(イソンデ)さん(71)と母辛潤賛(シンユンチャン)さん
(61)が来日して参加する。高齢の2人に配慮し、公式開催は今年で一区切りにするという。
【池田知広】事故は01年1月26日午後7時過ぎに起きた。アルバイトを終え、友人に会いに
行こうとしていた李さんは、酒に酔って線路に転落した男性を助けようと、関根さんと飛び降り、
電車にはねられて3人とも亡くなった。李さんが通っていた荒川区の日本語学校「赤門会」の
新井時賛(ときよし)理事長は、李さんについて「明るい人気者だった」と話す。00年1月、
高麗大を休学して来日。日本とマウンテンバイクが大好きで、「本州を自転車で巡りたい」と、
ビザを延長した直後の事故だった。
 
李さんらの勇気は大きな反響を呼んだ。政府要人が通夜などに次々と弔問に訪れ、
韓国メディアは「前例のない日本社会の動き」と大々的に報じた。李さんを描いた日韓合作映画
「あなたを忘れない」も製作された。02年にはサッカー・ワールドカップが両国で開かれ、
04年にはドラマ「冬のソナタ」などで韓流ブームに火がつく。
 
新井理事長は「相互に反日、嫌韓感情が残る中、韓国人が日本人のために命をなげうった衝撃が、
日本人の韓国人に対する思いを変えたのでは」と指摘する。事故直後の01年2月、国土交通省は
鉄道事業者に対し、ホーム上の乗客らが押せる非常停止ボタンの整備などを求めた。06年施行の
バリアフリー新法は「乗降口の位置がどの車両も同じ」などの条件が合えば、新設駅にホームドア
の設置を義務付けた。だが、費用などの面から、ホームドアの設置はあまり進んでいない。
国交省によると、安全対策が必要とされる利用者1日5000人以上の駅は全国に約2800あるが、
10年3月現在、ホームドアが設置されているのは449駅に過ぎない。JR東日本は500億円かけ、
山手線全29駅にホームドアを設けるが、完了は18年の予定だ。今月16日には山手線目白駅で
全盲のマッサージ師の男性が電車にはねられて亡くなるなど、転落事故はその後も後を絶たない。
 
「故李秀賢君を偲ぶ会」は26日午後4時から、東京都千代田区の主婦会館プラザエフで開催される。
盛大さんが講演するほか、届いた見舞金を基に02年に設立された「エルエスエイチアジア奨学会」
の関係者も出席する。
 
 ◇「より安全な社会を」--両親が心境
【ソウル大澤文護】息子の死から10年を前に、李秀賢さんの両親は「日本がより安全な社会になること
を望む」と心境を語った。父の李盛大さんと母の辛潤賛さんは事故後、釜山市中心部から同市西部に
引っ越した。盛大さんは事故を早く忘れたい気持ちでいっぱいだった。「家にいるといろいろな人が訪ね
て来て息子のことを話した。その度に心が痛んだ」一方で、息子が作ったホームページの文章を読み
返し、生前の息子の思いをたどろうとした。その中にこんな文章があった。
 
<私は最大限、人生を楽しみたい。楽しむといっても毎日、遊んで暮らすという意味ではない。仕事でも
勉強でも、楽しく、後悔のない生活をしたい>
 
この文章を読んだ時、夫妻は「息子は思っていたより大人だった」と感じた。そして「後悔したくない」という
息子だったからこそ「駅のホームから落ちた人をちゅうちょなく助けようとしたのだ」と、事故を振り返れる
ようになった。その一方、命日などで来日する度、駅の安全対策が進んだのかどうか気になる。転落事故
の要因とみられた酒を駅で販売する光景も目に入ってくる。事故直後、盛大さんは「ホーム下に避難所が
あれば、逃げ込むことができたのでは」と周囲に語り、安全対策が日本の課題になった。
 
「息子は日本を安全な場所だと信じていた。だから線路の上で電車が近づくのを見た時、手を広げれば、
必ず止まると信じていたのではないか」。そう話す潤賛さんの目から大粒の涙がこぼれた。
 
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110122dde041040006000c.html
ソース:毎日新聞

ホント変態毎日はこういう記事になると必死だな。
この人も死んでから周りに散々利用され続けてなんだかなと思うし。

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