« 【女性セブン】安倍昭恵さん、「韓流やめた」に韓流ファンから怒りの声続々[10/30] | トップページ | 【在日】スマホアプリで電話帳抜き取るウイルスをPCに保管した疑いで韓国籍の男を逮捕[10/30] »

2012年10月31日 (水)

【韓国起源説】正倉院のコバルト色硝子杯は百済が作った?「百済金銅壷紋と似ている」奈良博物館学芸官・内藤氏が論文発表[10/30]

【韓国起源説】正倉院のコバルト色硝子杯は百済が作った?「百済金銅壷紋と似ている」奈良博物館学芸官・内藤氏が論文発表[10/30]

1:水道水φ ★ [] :2012/10/30(火) 12:28:31.20 ID:???
∞日本王家の1級宝物、百済が作った?
∞正倉院所蔵コバルト色硝子杯
∞"百済金銅壷紋と似ている"
∞奈良博物館学芸官 論文発表
∞‘西域系統’見解と異なり注目

画像:最近、百済の匠たちの加工品であるという分析が提起された日本の奈良正倉院の7世紀 硝子杯(写真左下)。
    左上は硝子杯脚支えの魚子紋、唐草紋を拡大した写真。右側はこの硝子杯の脚支えと瓜二つの紋を持った
    益山(イクサン)弥勒寺(ミルクサ)跡出土の金銅製舎利壷だ。 ハン・ジョンホ教授提供、<ハンギョレ>資料写真

135155213406_20121030

http://img.hani.co.kr/imgdb/japan/news/resize/2012/1030/135155213406_20121030.jpg

高さ12㎝、優雅な円模様を本体にちりばめたコバルト色に輝く1300余年前の硝子杯の故郷はどこであろ
うか。 日本の古代の都、奈良にある日本王家の宝物倉庫、正倉院に所蔵された一級宝物 硝子杯の
製作地と由来した経路を巡って韓国・日本の文化財学界の関心が集中している。 ひと目見ただけでも
西域の風合いが感じられるこの遺物が百済で作られ日本に伝来したという日本現地専門家の研究結
果が発表されたためだ。

 このような見解を発表した専門家は、去る27日からこの硝子杯を含む正倉院所蔵品特別展(11月12日
まで)を開いている日本国立奈良博物館の学芸官である内藤栄だ。 彼は今回の展示図録に硝子杯を
分析した論文を載せ、脚支えなどの模様と製作技法から見て百済で匠たちが加工して伝来した可能性
が高いという見解を出した。
このコバルト色の杯はこれまで韓国・日本の学界で西域ペルシャ系統の様式
を持った遺物として、シルクロード交流の産物として手に入ったという見解が有力だったが、百済加工説が
提起されたことにより両国学界に少なからぬ波紋を起こすものと見られる。

 内藤が硝子杯の百済加工説を裏付ける根拠に挙げたのは独特の紋技法だ。 杯の下の金属支え部分
の躍動的なうず巻き形の唐草紋(ツル紋)が2009年に全北(チョンブク)益山(イクサン)の弥勒寺(ミルクサ)跡
の塔基壇部から発見されて世間の注目を浴びた7世紀百済末期の金銅製舎利壷の魚子紋(小さい魚卵
形を満たして刻んだ紋)と瓜二つだったという点に注目している。 魚子紋は6~8世紀に唐と百済・統一新羅・
日本などの地で共通的に現れる技法だが、小さな卵模様の魚子をぎっしりと満たさずに、まばらに満たすこと
で、あたかも怪獣の形のような唐草紋と似合うように構成した事例は百済の弥勒寺跡舎利壷の紋だけに
見られるということだ。 また、硝子表面に丸い紋を付け加え装飾美を誇った技法は1958年に慶北(キョンブク)、
漆谷(チルゴク)、松林(ソンニム)寺前塔内で華麗な舎利装飾具の中に納められているのが発見された円紋
のついた舎利器とほとんどそっくりだ。 内藤は「百済と日本王室の密接な親交関係で匠たちが細工した多数
の工芸品を日本に贈り物として送ったという点、百済滅亡後に多数の王族の匠たちが日本に渡って行ったと
いう点等から類推して、この硝子杯は百済で加工されて伝来した可能性が高い」と主張した。

 これに対して韓国内学界の一部研究者たちも説得力があるという意見を示している。 仏教美術史学者
ハン・ジョンホ東国(トングク)大教授は「当時、百済の匠たちは金属細工技術の側面で東アジア最高の技術
力を保有していた」として「弥勒寺跡舎利壷の紋技法が韓半島だけの独創性を帯びているという点で非常
に意味深い研究結果」と評価した。

 しかし大きな争点が解決したわけではない。硝子杯自体を百済で作ったか否かは、すっきりと解明されて
いない。内藤の論文も硝子杯の硝子は、硝子を発明した西域ペルシャ系統であり、百済は硝子杯を輸入
して脚支えを加工した後に再び日本に渡したという推定で結んでいる。 しかし韓国国内の学者たちは松林
寺舎利器や扶余出土の硝子玉などに見られる高度な金属・ガラス工芸接合技法などから見て硝子を自ら
製作した可能性も少なくないと見ている。

 756年聖武日王の愛蔵品を本山の東大寺に捧げたことにより始まった正倉院の歴史で硝子杯はいつ
誰がどんな経緯で持ってきたかの記録はない。 展示の主管社である<読売新聞>は硝子杯が義慈王が
日本王室に送った木製碁盤のように百済王室の朝貢品だという推測記事を書きもした。

参考サイト
第64回正倉院展|奈良国立博物館
http://www.narahaku.go.jp/exhibition/2012toku/shosoin/2012shosoin_index.html
画像:瑠璃坏(るりのつき)

Shosoin_top

http://www.narahaku.go.jp/exhibition/2012toku/shosoin/images/shosoin_top.jpg

ソース:ハンギョレ 2012.10.30 08:10 修正 : 2012.10.30 09:26
http://japan.hani.co.kr/arti/culture/13176.html

引用元URL:http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1351567711/

100歩譲って百済のもんだとしても現在の韓国にはなんら関係ないわ。
百済のもんだ、韓国起源だと言うなら当然同様の物がそっちでもあるわけだが見つかったのか?

« 【女性セブン】安倍昭恵さん、「韓流やめた」に韓流ファンから怒りの声続々[10/30] | トップページ | 【在日】スマホアプリで電話帳抜き取るウイルスをPCに保管した疑いで韓国籍の男を逮捕[10/30] »

起源主張」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1357395/47660381

この記事へのトラックバック一覧です: 【韓国起源説】正倉院のコバルト色硝子杯は百済が作った?「百済金銅壷紋と似ている」奈良博物館学芸官・内藤氏が論文発表[10/30] :

« 【女性セブン】安倍昭恵さん、「韓流やめた」に韓流ファンから怒りの声続々[10/30] | トップページ | 【在日】スマホアプリで電話帳抜き取るウイルスをPCに保管した疑いで韓国籍の男を逮捕[10/30] »

2015年4月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    

最近の記事

無料ブログはココログ